YOSHIKIのプロフィール
- 本名:林 芳樹(はやし よしき)
- 生年月日:1965年11月20日
- 出身地:千葉県館山市
- 身長:175㎝
- 血液型:B型
- 職業:シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家音楽プロデューサー、実業家、起業家
- 担当楽器:ドラムス、ピアノ、キーボード、ギター、ベース

今回はYOSHIKIの父親の死因と弟林光樹についてまとめてみたよ。
YOSHIKIの父親の実家は呉服屋で金持ち?
YOSHIKIの父親は呉服屋を経営していたためかなりお金持ちだったようです。
そのため、父親は外車の「リンカーン・コンチネンタル」に乗っていました↓
YOSHIKIは基本的に音楽以外興味がないようですが、唯一の趣味が「車」です。

YOSHIKIの父親は車以外に音楽が好きだったよ。
YOSHIKIは父親の影響を強く受けているんだね。
YOSHIKIは幼少期に何百枚もレコードを家の2階から庭に向かって投げるというイタズラをしていますが、父親は一度も怒ったことがなかったようです。

相当な金銭的余裕を感じるね。
YOSHIKIの父親の死因(自殺の理由)は借金?
そんな父親ですが、YOSHIKIが10歳の時に突然自ら命をたちます。
【質問】
YOSHIKIの父親は自殺してるそうですが、その理由は何だったのですか?
【回答】
理由は父親しか知りません。残された遺族は死ぬまで自殺した理由はなんだったんだ、なにをしてあげればよかったのか
何がそこまで彼を追い詰めたのか、と悩むしかありません。出典:Yahoo!知恵袋
この理由についてはYOSHIKI自身も分からないとインタビューで答えています。
「自らの意志で命を絶たれたら、なんで?ていうクエスチョンマークが疑問符だらけになっちゃうけじゃないですか?で絶対に答えがきけない疑問符、本当の答えは絶対にわからないじゃないですか?その答えをもったままどっかにいっちゃったわけだから、そしたら永遠にその答えを探し求めて生きていくしかないんですよね」(ZEROでのインタビュー)
YOSHIKIは父親のなくなったときは怒りや悲しさでいっぱいになり、家族が手を付けられない程暴れ回ったようです。
YOSHIKIの父親の死因は借金があったからなのでは?という噂がありますが、YOSHIKIの実家は裕福な呉服屋でかなり金銭的余裕があったことが分かっています。
YOSHIKIの父親に借金があったとは思えません。

仮に死因が「借金」ならYOSHIKIがここまで悩む必要はないもんね。
YOSHIKIのドラム・楽器と父親の関係は?
YOSHIKIは4歳の時に父親からピアノを買ってもらい自宅の近くのピアノ教室でクラシックピアノのレッスンを受けていました。
父親が購入するクラシック音楽のレコードを日常的に聞いていたようです。

父親がピアノを買ってくれたからこそ、現在YOSHIKIはピアノが演奏できるんだね。
YOSHIKIは8歳の時にシューベルト交響曲第8番口短調「未完成」とベートーベンの交響曲第5番八短調「運命」のレコードを自分のお小遣いから購入したと話しています。
幼少期、病気がちで入退院を繰り返していたYOSHIKIに父親は子供向けの偉人伝を読んでいくれたようです。

優しい父親だったんだね。
YOSHIKIも父親のことは大好きだったんだって。
YOSHIKは父親に買ってもらったピアノを気に入り、毎日練習した結果、9歳の時には自ら作曲するまでになりました。
YOSHIKIは父親から毎年楽器を誕生日プレゼントとしてもらっています。
10歳から14歳までブラスバンド部でトランペットを担当したのも、10歳の時に父親からトランペットを買ってもらったこときっかけです。

毎年、楽器を誕プレに貰うってすごいね。
お金がすごくかかりそう。
YOSHIKIがトランペットを買ってもらった年の翌年の8月にYOSHIKIの父親は自ら命をたってしまいます。
当時父親は34歳でした。
それまでは父親の影響からクラシック音楽しか聴いていないYOSHIKIですが、以後、ロックを知りのめりこんでいきます。
ロックにのめりこんだのはいきつけのレコード屋でたまたま目にしたロックバンドのジャケットに気になって購入したのがロックを始めたきっかけです。

YOSHIKIはロックを知ってからドラムを始めたよ。
父親が最後に教えてくれた楽器はある意味「ドラム」だったと言えるね。
YOSHIKIは後に父親の夢がドラマーであることがわかっているいよ。
YOSHIKIはその後、ドラムをより複雑にたたくためにダブルベースのドラムセットを母親に買ってもらっています。
初めてYOSHIKIがステージの上でドラムを披露したのは中学校の体育館です。
紅はYOSHIKIの父親への歌?
噂ではYOSHIKIの代表的な曲「紅」「Tears」は父親に向けて書かれた曲ではないかと言われています。
YOSHIKI自身がこの2曲について父親について書いた曲であるとは話していませんが、父親のことを書いた曲だと思っている人は多いです。
YOSHIKIの歌詞は傷、永遠、血、涙、記憶といった父親を連想させる言葉が頻繁に歌詞出てきます。
Rusty Nailの曲では「赤い手首を抱きしめて泣いた夜を終わらせて」という歌詞があり、父親のことを悲しむ曲だと言われています。
YOSHIKIの父親は韓国人?
ネット上ではYOSHIKIの父親は韓国人だと言われているので、調べてみました。
結論から言うと、YOSHIKIの父親は韓国人ではないと思われます。
YOSHIKIの本名は「林佳樹」で「林」という苗字の在日韓国人が多いことからYOSHIKIの本名は「イム・ガス」であるといわれいます。
しかし、YOSHIKIは過去に記者から「在日韓国人ですか?」と聞かれた際には「日本人ですよ」と答えています。
YOSHIKIの実家は由緒正しい呉服屋であり、日本人が経営しています。
そのため、韓国人である可能性は極めて低いです。
また、YOSHIKIの顔立ちを見ると、韓国人の顔の特徴「一重やゴツゴツした顔立ち」はしていません。
日本人であると推測できます。

有名な芸能人が多くが「韓国人では?」という噂がたつのはよくあることだね。
そもそもバンド名にも「Japan」と入っているよね。
YOSHIKI弟は林光樹でダミー?
YOSHIKIにはXの頃は、プライべートについてはほとんど非公開でYOSHIKIのカリスマ性が際立っていました。
しかし、徐々に情報も解禁されてきました。
YOSHIKIはXJAPANのライブにダミーとして林光樹が出演したことがあります↓
林光樹の背格好がYOSHIKIに似ていて、ダミーになれるからいいなあメンバーから冗談を言われていたようです。
林佳樹のプロフィールは以下のとおり↓
- 名前:林 光樹(はやし こうき)
- 生年月日:1970年7月22日
- 身長:179㎝
- 趣味:ダンス・料理・ボクシング
現在は林光樹はYOSHIKIは俳優として活躍しています。
1993年頃から俳優としての活動を始め、「ハッピーマニア」「やまとなでしこ」「神様、もう少しだけ」など数々のテレビドラマに出演しています。
現在は芸能事務所を退社し、YOSHIKIのマネジメントを行っています。
林光樹は現在は元新体操の日本代表の松野千佳と結婚して幸せに暮らしているようです。
以上、YOSHIKIの父親と弟についてまとめてみました。
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